2010年02月14日

聴いてる?(傾聴)


以前通っていた大学の中で、カウンセリングに必要な「 傾聴 」を学ぶために、学生同士が3人一組になり、AさんがBさんに話しかけ、Bさんはそれを聴き(傾聴)、Cさんはその様子を観察する。という役を代わる代わる交代して、お互いを分析、指摘し合いましょうという講義がありました。

時間は一回5分と限られているので、話し手の人は半ばまくし立てるように、何かテーマをあげて、一生懸命話すことが求められます。

その中で、私がB役(聴き手)にまわった際に、A役(話し手)の人が、話の途中で、「ちゃんと聴いてる?」と、半ば怒り気味にたずねてきました。

普段なら、気に入らない人や、関心の無い話であったなら、相手に不快を与えてしまう態度をとってしまっていたかもしれませんが・・
自分で働いて通っている大学の授業中です。
私は私なりに真面目に聴いて、節目節目にうなずきもしていたのです。
話の内容も、オウム返しに、確認しても間違ってはおらず、観察役の人も、聴き手の私に、特に問題は無かったと言いましたが・・

少し偏見があるかもしれませんが、話し手の方は40歳くらいの、関西の女性で、普段よく喋るひと。
グループミーティングなどがあると、私をリーダーに指名したり、少し姉貴肌のある方で、ふだんから感情豊かに表現される方でした。
それに対し、私はあまり感情の表現が上手でなく、普段出さないタイプ。

つまり、「ちゃんと聴いている?」という意味の中には、話の内容を解っているかどうかではなく、気持ち、感情を受け取った上で、同じ様に返してほしい。
言葉に頼って、まとめられて(分析)しまっても、話し手は本当に解ってくれているのか?解らないと言いたかった様です。


私はそのときに(講義の狙い通り)、自分が言った言葉、相手が伝えようとした言葉を、正しくちゃんと伝わる、受け取れることの難しさを体験しました。

当たり前と言えば当たり前なのですが、人の眼はその人自身の顔に付いているもの、自分の振る舞いを自分で観察する事は困難、どんなに人の身になろうとしても、ついつい自分の価値観で物事を計ってしまって、その物差しで相手を計ってしまう・・

理屈(自分の物差し)で解ろうとするのではなく、ただその人の気持ちを受け止める。
「 傾聴 」という意味には、言葉を理解すること以外にも、受け止めるという意味があることを、知りました。

<以下テキストより>

・自分が伝えた事は、相手の脳の作用に任される。
・自分が伝えた事が、そっくりそのまま相手に受け取られているわけではない。
・自分の伝え方の特徴や相手の受け取り方の特徴が加わり、伝えた内容が更に変化してしまう。
・コミュニケーションにおいては、そもそも誤解、錯覚、ズレは当たり前。
本質を忘れてしまうと・・
「すぐわかってくれない」、「解らないのは相手に問題がある」と依存的になってしまったり、「私は自己表現が下手だ」と自己嫌悪になってしまったり、「話しても無駄」と諦めに陥ってしまう。

コミュニケーションとは、かなり複雑で大変なプロセス。
心の全てを伝える事はできない。言葉の限界。
そんなものだと解っていれば、簡単に「分った」「分ってもらえなかった」となることもない。
  


Posted by A(C at 07:12Comments(0)

2010年02月11日

教え手

「教え手」と一言で言っても、親や家族、友達や先輩、同僚や上司、先生や師匠、講師・・
互いの立場が違えば、教え手のあるべきスタイルも変るものですし、状況や環境も違えば、何を一番重要に伝えるべきか?と言うことも変っていくと思いますが、往々にして、誰しもが「人に教える訓練」を受けている訳ではないので、「教え手」の伝え方には、必ずといってその人の個性、性格が出るものだと思います。

半年前に少し離れた工場に応援として出る機会があり、少しでも他部署の仕事を吸収してこようと、意気込んでいきました。
応援期間が終わりに近づき、私の引継ぎとして、新卒の大学生が着くことになり、私はその子に教える立場になりましたので、一週間くらいをかけて、教え込んでいきました。
若くやる気もありましたので吸収がよく、予定よりも早く覚えてくれたので、上司から独り立ちの指示をうけたのですが、その二日後くらいに、ちょっとしたミスをしました。

その後、応援者同士で最後に食事をしようという話があり、その席で、同僚から(私の教えていた姿や後継者がミスをした過程を見ていて)「君の教え方は甘いのじゃないの?」という意見をもらいました。
同僚曰く、基本的なことだけを教えて、後は目の前でミスをおかすまで独りでさせて、そのミスを指摘する(叱る)ことで、身体に教え込むほうが確実で早い、というのだそうです。

少しやさしめに表現すると↑なのですが、要はスパルタ的な方法で、自分の身体で覚えさせて、自分でどうするべきか、自分で考えるべき、という意見です。
私も「やってみて、やらせてみて」を繰り返していたので、指摘(叱る)をしなかったわけではないのですが、同僚にはフォローし過ぎと見えたようです。


この話はあくまで参考で、環境や人によって状況がまるで違ってしまうでしょうから・・
どんな教え方が正しいか?という答えは無いのかもしれません。

ただ、私がこれまで経験した中で、人のヤル気を殺ぐ行為、教え方だけは許せないと思ってきました。

私は実家が八百屋で、中学生の頃には朝の3時くらいから、父親に着いて市場の喧騒の中で(ネボケ眼を擦りながらも)働く人の姿をみてきました。
人が一生懸命働く姿は、ずっと憧れの対象で、ソコに生き甲斐(遣り甲斐)を持つことが自分の幸せに繋がるのだと思っています。

ヤル気を殺ぐということは、相手の生命力を奪うも同然だと思っています。

これまで、何度か理不尽な教え方、叱られ方を経験したことがありますが、その度に、私は絶対、人にこの苦痛を感じさせたくない、同じ想いをさせたくないと思ってきました。


「飴と鞭」という言葉がありますが、人には飴も鞭も必要。
自分の定規ではなく、その人のがんばりを認めてあげることが、意欲に繋がるのだと思います。
失敗しても、がんばったら褒めてあげることも大事だと思ってきました。

少し話がズレ気味かもしれませんが、
私にとって重要なのは、作業を教えることではなくて、その人のヤル気を伸ばしてあげることなのかもしれません。
  


Posted by A(C at 18:09Comments(3)仕事

2010年02月07日

ハザードランプのローカルルール?

愛知県は昨年度、交通死亡事故の減少がトップという成果をあげたにも関わらず、全国交通事故ワースト1から抜け出せ無かった様ですね。

豊田市に来た頃は・・
なんで「車の街」と言われているのに、こんなに事故を目の当たりにする事が多いのだろう?マナーが悪いのじゃないの?と、しきりに思っていましたが、私も走っているうちに、一概にマナーだけの問題じゃないのかな?と、思うようになりました。

主観ですが、大きな原因として、車の数が多いことと、もう一つは道が狭いこと。
そして県外から来る人(車)が多い分、土地勘が違うのじゃないかなと思います。
名古屋付近にいたっては車線がいくつもあるのに道の間隔が短く、車線を間違ったときはグルグル回り直すか、無理やり車線変更するか、知らない道で普段と違う運転が増えたら、危険度が増すのは当たり前かもしれませんし、もし同じタイミングで動き合う車が居たらより一層危険になってしまうでしょう。

土地勘とは若干違うかもしれませんが、ローカルルール(?)の違いにも、最初惑いました。

今回タイトルに挙げたハザードランプに絞ってみても、ふだん走っている限り、ハザードランプの使用頻度は、地元の新潟に比べかなり低いように感じます。

本来の意味では、非常用だから、多用するのはあまり良くないという考え方もあるようですが、地元ではしょっちゅう見かける光景で、使うタイミングとして以下があると覚えています。

・駐停車するとき
・車に異常があり停止せざる得ないとき
・渋滞などの最後尾に着くとき(主に高速)

・バックするとき
・道を譲ってくれたとき
・救急車が迫ってきて、左に徐行で左に寄るとき

私の認識では、普段と違う運転が必要なときに、他の車に合図を送る手段と認識していて、
薄暗い駐車場の中で、スモールライトも付けずに、バックをされると、例え自分が歩いていても、不愉快に感じてしまうのですが、調べてみる限り、規則ではない・・

話の流れが少しずれているかもしれませんがw

環境で照らし合わせると、地元の新潟はわりと道路が広く、(新潟の新潟市とは言え)愛知ほど車は多くなく、車間も取れる環境で、しかも年間日照時間が少ない地域で、雪なども関係して視界が悪い場面が多くなるために、互いに警告しあう道具として、使い慣れてる点があります。
それに対して、愛知は道路が狭く、車間が取れず(取らない)、急いでいる傾向が強く、走りに余裕が無いために、ハザードの使い方を、誤って使ったり、誤認されたりした場合、即ぶつかってしまう恐れがあるため、使う機会が少ないのかもしれません。

使い慣れている私としては、相手への思いやりと思い込んで使っているのですが、必ずしも、使うことが良いこととは限らないのかもしれませんね。
  


Posted by A(C at 10:03Comments(6)くるま関連

2010年02月07日

はじめまして

はじめましてA(Cです。
ハンドルネームの読み方は、「ええかっこしい」です。
理想ばかりで行動が追いつかない「カッコウだけ」という意味で、自己啓発を促す意味で付けました。

もともとは芸術、美術、デザインに関わる職種を志望していて、その後心理学に関心を持ち、在学中はキャリアカウンセラーを考えていましたが、経済面を優先し就職、退学しました。
※専攻はしていたものの、現場も知らず、知識はカジッた程度ですw

好奇心旺盛ですが、集中力があまり無いので、中途半端な面が多々あります。

実家が八百屋で、豊田市に来るまでずっと接客業が中心。
中学生の頃から、大人が働く姿を間近で観てきたので、接客の上手な人を見ると憧れますw

ブログでは主に、仕事、地域をメインに取り上げたいと思っています。

もともと自律神経系の働きが弱く、情緒不安定な体質と長く付き合ってきたため、
中島みゆきの歌詞にあるような「人の弱さの中から、強さを見つけ、次の一歩に活かす」スタイルに憧れます。
たぶんに、愚痴っぽい内容が多くなる事とは思いますが、お付き合い戴けたらと思います。

ブログは初めてではありませんが、もっと手軽なものしか扱ったことが無いので、作成に奮闘するかと思います。
内容以外でw、お見苦しい点や、お勧めのブログ作成方法などありましたら、教えていただければ嬉しく思います。